「泡沫」

 

幼い頃、本で読んだアンデルセン童話の「人魚姫」がどうしても好きになれなかった。

危険を冒してまで人間になった人魚姫の熱意も、失恋した後に、王子の心臓を短剣で貫き

流れ出た血を自分の足にかければ人間に戻れるというチャンスをもらったのにも関わらず、

自分を裏切った王子を刺すことが出来ず自ら海の泡となって消える心境も理解出来なかった。

自分の能力が、悲劇の結末の引き合いに使われているようで何となく癪だったし、子供心に

人魚の国に男はいなかったのかという疑問が頭をもたげたからというのもある。

そもそも運命の恋といったって発端は、単に王子の容姿だけに惚れ込んだ一目ぼれであって、

馬鹿な人魚姫の自業自得の喜劇にすら思った。

 

 

あれは戸守さんと知り合ったばかりの頃だった。

15歳で海の泡と消えた人魚姫の年齢を大分過ぎ、人魚姫よりもさらに幼い子ども達との関係

にイラ立ち悩んでいた頃、戸守さんにも僕の「人魚姫」に対する見解を漏らしたことがある。

今まで知り合った人達とは違って、戸守さんは僕の笑われ続けたこんな意見を面白い考え方だ

と笑って褒めてくれた。

そして一言こう付け加えてくれた。

「自由になれ。不快なものは思いのままに消しなさい。」と。

 

 

あの瞬間、僕はどれだけ救われたろう。

僕の悩みを受け止めて、優しく背中を押してくれた戸守さんに僕は一生ついていこうと決めた。

戸守さん、僕はあの瞬間、たかが一人の人間に自ら茨の道を歩むまでのめり込んだ人魚の気持ち

が少しだけ分かったんだ。

 

 

開園前の遊園地という、これ以上ないほど格好の舞台で、今日も戸守さんを喜ばせるため頑張ろ

うと意気込んでいた僕の前に、目の前に息を飲むほど美しい少年が現れた。

一瞬それが現実であるとは受け入れられなかったくらいだ。

艶やかで、美しい漆黒の髪。

女性のような、彫刻のような完璧な曲線を描く鼻梁や輪郭。

僕を見つめる、美しい瞳と意志の強さを感じさせる瞳。

繊細で端整だとか、美の黄金比が出そうだとか、そういった領域の問題ではなかった。

男性か女性か、若さゆえの輝きだとか、そういったものも超越したただただ「完璧な美」という

ものが確かに存在していることを僕は目にして、知ったのだ。

 

 

そうか、彼が「血刃」君か。

こんなにも美しい少年だとは思いもよらなかったから、そしてその美しさに見とれる余り脳が考

えることを放棄したから、まさか彼が「血刃」君であるとは、一緒にいる「灯盗」君が彼をの名

を呼ぶまで気づかなかった。気安く「白い制服君」などと呼んだのは、この生きた芸術に対して

失礼だったかもしれない。

 

 

僕の能力に臆することのない勇気―。

僕の能力を瞬時に見抜いた観察眼と聡明さ―。

僕に殺されかけていた哀れな仲間を気遣う優しさ―。

敵である存在だとしても、何て美しく崇高な魂の持ち主なんだろう。

僕が普段目にしている、自分の要求を叫ぶしか能がないちっぽけな命達とはまるで違う…。

 

 

いい。すごくいい。

 

僕を見つめる瞳に宿る軽蔑と嫌悪の眼差しすら、僕の心を挽きつける…。

僕へ向ける感情は憎悪という醜いものであっても、それを支えているのは彼らの思うところでの

「正義」と弱者への「慈しみ」なのだから。

目的とするところは違えど、目指すところは、人魚姫と同じなのかもしれない。

 

 

彼を殺すなんて出来ない。

僕の術で、彼をぶよぶよに膨らんだ醜い水死体へ変えることは、戸守さんへの裏切りと同じくら

い、愚かで罪なことだろう。

 

いっそのこと、誰も触れさせない、僕だけのものにして…。

 

 

「先生頭の良い子は大好きだから殺したくないよ。」

 耐え切れず、思いのうちを吐露してしたことは罪だったのか、彼の美しい唇から生まれた答えは

 残酷だった。

「最強の密閉空間がアダになったな。終わりだ三樹。」

 

 

 

嫌だ、死にたくない、僕は君のことをずっと見つめていたいんだ―。

 

 

 

 

 

−戸守さん、僕、人魚姫の気持ちがすごくよく理解ったんだ…―。

 

 

〜羅夢様より頂きました〜

 

※こちらのSSはサイトに来て下さった方から送って頂いた作品です。

 他のサイトマスター様にも贈答されているとの事でしたが、Web

 発表はされていらっしゃらないとの事で、かつ折角の三樹ティ祭と

 いう事で、御本人様の了承を得て掲載させて頂きました。

 

羅夢様有難うございました!

 

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